2006.01.29 Sun
ベトナム戦争から9.11へ「ランド・オブ・プレンティ」

見ていて痛々しいくらいアメリカという国に対する皮肉を感じさせられた映画でした。
観終わったあとに書き残したメモを元に、映画に登場した中で印象に残ったものと、それが象徴するものについてぼくが考えたことをいくつか書いておこうと思います。
まず、冷戦、ベトナム、9.11、いまだ彼の中では戦争が終わっていないポール伯父。たったひとりでアメリカを守ろうと日々パトロールを続ける退役軍人。彼は見たとおりそのままアメリカを意味しているのでしょう。
ポールが街で怪しげなアラブ人を見つけたところから物語は始まります。アラブ人を執拗に追跡するポール、最後にポールが見たものは何のことはありません。1人のか弱き人間、家族、そしてポール自身のやってきたことに対する無意味さ、無力さ、すべては混乱。それは9.11、イラク戦争でアメリカが見たものです。
ポールがある家へ突入(これもまた笑うしかないほど滑稽なのですが)したときに、彼は壊れてチャンネルを変えることができないテレビと出会います。その映像で演説をしていたのはジョージ・ブッシュその人です。チャンネルを変えられないテレビ、ポール、ブッシュ。それはアメリカそのものです。「もうずっと同じ番組ばかり」そう言う老婦人に対してポールはテレビを1度こぶしで叩きます。すると、壊れたテレビのチャンネルが切り替わったのです。この瞬間がポールにとっての転機だったのだと思います。自分のやってきたことに気が付いた瞬間です。老婦人は言います、“Thank you.”。そしてポール、“You're welcome.”。
この映画ではiPodをはじめとしてApple社の製品が頻繁に登場します。ラナの持っているPCはiBookですし、彼女はiPodでしょっちゅう音楽を聴いています。映画を観ている側は、彼女がそのとき聴いている音楽を一緒に聴いているのです。ラナがインターネットでチャットをする場面が何度かありますが、そのときはたっぷりMacのインターフェースを眺めることができます。そういうわけで、お前はアップルの回し者かと言いたくなるくらいアップル製品が登場するのですが、これはイスラエルから故郷アメリカへ帰ってきたラナを、ポール伯父とは違った存在として描きたかったということなのだと理解しました。アップル社を何度も出すことで、そこからその対称としての存在であるマイクロソフト、ビル・ゲイツ、資本主義、マジョリティ、大きな力、つまりはアメリカとしての存在であるポール伯父が見えてくるのです。アップルもアメリカの企業なので、これもアメリカの象徴と言えばアメリカなのですが、マイノリティであることに変わりはありません。アメリカ生まれだけれどもアメリカ人と言うには微妙な存在であるラナを表すのにはうってつけではないでしょうか。
最後にラナとポールはニューヨーク、ワールドトレードセンターのあった場所へと大陸を横断します。そこには何か強い憎しみや復讐、大きな力があるわけではありませんでした。崩れたビル同様に、ただ、何もないのです。“美しい者も醜い者も 今は同じ すべてあの世”という映画「バリー・リンドン」での最後のこんなセリフがぼくの頭をよぎります。
けっきょくのところポールのようにいまだに戦争の終わらない人たちがこの世には大勢いるのです。戦いを渇望し、何かに矛先を向けたくて仕方がない、それがアメリカという存在なのであり、それをポールという狂信的な愛国者によって面白おかしく描いたのがこの映画なのだと感じました。
ラナ役のミシェル・ウィリアムズが可愛かったです。
Land of Plenty
plenty : 豊か、じゅうぶん、あり余る
| TV・映画・音楽 | 02:32 | コメント(-) | trackbacks:0 | TOP↑






